今日は本当に良い天気で少し動くと汗ばむ陽気で、これぞ秋晴れってな感じですね。
本日は少し、三宅工務店の歴史をお話します。
三宅工務店は昭和25年に私の祖父であります三宅尚三(みやけしょうぞう)が長岡京市馬場で建築請負を始めました。現在多くの建築会社がある中で古くから地元の皆様にご愛顧頂き現在も工務店をさせて頂いております。
その当時はもちろん私はまだ産まれていないのですが、多くの職人さんが住み込みで働き賑やかな毎日であり、職人さんの食事、洗濯、お風呂等などのお世話をしていた祖母と母は大変な毎日を送っていたと聞いています。
私も物心が付いた時には実家横の加工場で毎日材木を刻む機械の音と、木の臭いの中で育ってきました。保育所時代には加工後のあまった材木に釘を打ち、絵を書いて保育所の先生にプレゼントしていた記憶がありますね。先生からしたらただのクズ???だった???かもしれないですね。今思うと・・・(苦笑)
そんな中で育ってきました私は、大きくなったら家の家業を継ぐものと思っていましたので、現在私が34歳で三宅工務店の社長として同じ地で営まして頂いているのも先代のおかげであり、先祖さんがしっかりと守って頂いている事への感謝を胸に抱き日々精進しています。
前述にも記載しましたように私は現在34歳ですが、中学校卒業後には三重県の日生学園という大変厳しい全寮制の高校に入学し日々耐え忍ぶ(色々と・・・)生活を3年間過ごした後に、京都の園部にあるKASD(昔の京都国際建築技術専門学校)に通い建築の勉強を行い、平成10年3月に現在私の恩師でもあります人建築設計事務所の所長でであられます島津先生のもとで7年間設計の仕事を学ばせて頂きました。島津先生には本当にお世話になり、現在もご指導頂いており本当に素晴らしいお方です。色々な事を学ばせて頂いた島津先生には心から感謝しています。これからも末長いお付き合いをお願いします。
長男である私は平成17年1月より(当時28歳)に三宅工務店に入社しました。その時には父親も事業転換を行い工務店業から離れておりましたので、私の祖父、叔母、叔父、弟で工務店を営んでおりましたが先代の様態が悪くなり入社後すぐに他界をしました。結果、正直何も分からない状態の中で三宅工務店の代表とし就任をし、現在もまだまだ未熟な私ですが廻りの方たちにも支えられ三宅工務店の社長として日々精進しております。
私が三宅工務店に入社し、はや6年が経ちますが工務店の仕事というのは様々な知識と、付き合い、そして知恵が必要な業種であることを実感していますが、私にとってモノ創り、そして人とひと、すなわちお客様とのコミュニケーションは一言で楽しい。につきます。
お客様の要望をカタチにする事への重み、重圧を乗り越え完成した時に、その成果を心からお客様に喜んで頂いた時にはなんとも心地の良い達成感にかりたてられます。良いものです。
まだまだ未熟な私ですが、先代が築いてこられた歴史と伝統、そして想いをしっかりと受け継ぎここ地元長岡京市でしっかりと根をはり、これからもお客様の為に社員一同精進していきます。
これからも、宜しくお願い申し上げます。
余談になるかもしれませんが、私は現在公益社団法人乙訓青年会議所の一員として仕事以外の場で活動をしておりますが、今週の日曜日(10月9日)に淀川河川公園にて「乙訓水辺フェスティバル」という催しを当会メンバー一同で開催します。
お時間あられる方がおられましたらぜひぜひご来場ください。